独言随想 山田康弘
1月21日
公園のように整備された太田アルプスを半分程縦走して下山、車道約3kmを歩いて駐車場に戻る間、すれ違う人、一人の例外もなく挨拶されたのには驚いた。山中でもないのに。太田市恐るべし。
1月18日
毎年飾っているオルガンのカレンダー、今年のは去年の11月にネット上で見つけたものを注文し、クレジットカードで支払いできるものと思っていたらダメで、わざわざ銀行に出向いてドイツに送金した。1月1日になっても届かないので、メールで問い合わせると、今発送の準備が整ったとのこと、忘れられていたのだと思う。随分高くついてしまったカレンダー、バッハアカデミーにお越しの際は、トイレに入って見てやってください。
1月17日
そろそろ花粉の症状が出始めた人も居るようだ。或る研究によると、花粉に含まれる鉛の成分が高いほど、症状が重くなると云う。重金属の解毒が重要な訳であるが、これは花粉症に限らず、アトピー、蕁麻疹等でも同様である。
1月9日
マスクや予防接種が感染を防ぐなど幻想に過ぎない。
インフルのワクチンは、その冬に流行しそうな型を予測して作ると云う話はよく知られているが、今年はその型がズバリ一致している。それでこれだけ流行っているというのは、全く効いていないと云うことである。更に穿った見方をすれば、接種を受けた人が病気を発生させているのでは、と云う疑いも払拭できない。
1月6日
もうこれだけインフルエンザが流行っていると、全員が感染していると考えたほうが良く、隔離など無意味。あとは発症するかしないかで、いずれにしてもある程度の免疫が得られる。
先週からゲホゲホしていた次男、昨日は高熱を出していたようで大分辛そうであったが、今日は楽になった様子。学校に診断書を出す必要があるからと、歩いて内科に行き、インフルエンザA型の判定を受けて来た。薬の処方は断ったと云う。わが家の流儀である。
1月2日
年をとったせいか、究極的な音楽にしか興味が持てなくなりつつある。
ベートーヴェンの最後のピアノソナタである第32番は、たった一言で言い表せる。浄化であって、もはや音楽でもないような気さえする。
フォーレの最後のピアノ曲である夜想曲第13番のほうは、もっと凄絶で生々しい。ベートーヴェンよりは30年くらい長く生きているのに。滅多に演奏されないが、やはり究極のピアノ音楽の一つであると思う。
2025年
12月31日
秋にかなりの秘境、入広瀬に行った際、魚沼の玄米を格安で買ってそのまま水に浸けてから炊くとか(玄米のままでも美味しい。子供たちが何も文句言わない)、精米していただくとかしていたが、残り僅かになってきた。大雪の越後で登れる山は無し、どうしたものかと思っている。
12月30日
北に向かうよりは気候が温暖なイメージがあったので沼津に行ってみたが、海のそばは寒いことを失念していた。沼津港での食事では人気の店の行列に並ぶも、寒い中、外に立って1時間も待つのに耐え切れず、直ぐに入れる店に変更した。そこでも十分に美味しく、今年の食べ納めのような気がした。
12月20日
ガソリンを入れに行くついでに懐かしい染谷の地、小春日和に10年ぶりくらいに行ってみた。温泉で加熱なし源泉、熱いの、水風呂等多彩で楽しめる。周囲は真っ暗、道をタヌキが横切った。
12月17日
ミュンヘン音大のチェンバロ科でクラヴィコードのレッスンがあったこと、クラスのコンサートでハンガリー留学生が弾くエマヌエル・バッハを聴いたいたことが自分の転機になったことは間違いない。
今年もエマヌエル・バッハの未知のソナタを演奏することができて嬉しく思っている。
疾風怒濤などと云う彼の様式を表す言葉は邪魔で誤解を招くと思う。表記としてAllegro moderatoやAllegrettoを多用したことから窺えるように、或る種の中庸さを備えていると思う。
12月11日
八ッ場ダムに近い山、寒さが身にこたえた。晴れているのに北国の雪雲からの冷風は、雪もちらつかせた。道路標示が−1℃だったので、山ではもっと低かったかと思う。温泉でお爺さんたちが、今日は寒くなった、と話していたので、この地方にしても特別であったのであろう。お店の入口によくある石焼き芋器に手をかざして当たってしまったりする。
12月9日
頂き物をして、播磨屋の煎餅が異様に美味しかったことを思い出した。あそこの社長が変人すぎて何となく買うのが嫌になってしまうのである。右翼の様と云うか、自らを覚醒者と称しているので、新興宗教的とも言えよう。
12月5日
大魔神のおどろおどろしさはクセになる。よくも60年近くも前にあんなものを立て続けに3作も作ったものだ。伊福部昭の音楽もこれ以上ない程にマッチしている。何よりも大魔神の憤怒の顔がトラウマ級であるが、眼力ある役者さんが演じているのだと初めて知った。
12月4日
丹沢に行くのに、ナビが示すのが首都高経由のルート。一抹の不安を感じながらも5:30に出たが、やはり都心と横浜市内で渋滞に嵌ってしまった。首都高で最も困るのは、トイレが無いこと。用賀インターで一般道に降りてコンビニに行かなければならなかった。帰りは圏央道経由で何の問題もなかった。何事も体験して学ぶ。
11月30日
通っていた理髪店、60歳以上はシニア割引になるところ、その歳になる直前に行くのを止めてしまった。それからは家内にバリカンとハサミで刈ってもらっていたが、最近は自分でやるようになり、家内には後ろなどをチェックしてもらうのみである。丸刈り、坊主頭に近いからこそ可能なことで、経済的ではある。
11月28日
高原野菜なるものに目覚めた。何度も中山盆地と云う道の駅で野菜を買っているが、外れたためしなく、味が濃いのである。パンフレットによると、夜寒く昼暖かいのでそのようになると云う。移住の勧めなども書いてあって、唆られるものがある。
11月21日
本番会場に路線バスで向かおうとするも、まるで来る気配がない。歩いたのでは時間的に間に合わない。背に腹は代えられないので、比較的近くにあったタクシー営業所に駆け込んだ。全くバスは使えない。停留所で時刻表を眺めていると、来週から半分近くの減便とのことであった。
11月18日
手芸作品展での不思議な出来事。
開場を待つ行列に犬が一匹混じっていた。近所の犬が脱走して列に並んでいたのである。
カフェでコーヒーをお出しして、お客様と話していた。その方の出身地に近い小野上の小高い山を登って行ったところに湧き水があって、と仰るので、そのコーヒーの水がまさにそこで汲んだものです、と言った。
11月15日
車のオイル交換に出向くと、3回連続で違うスタッフに、ダッシュボードにある松ぼっくりが可愛いですね、と話しかけられ、あれは登山の時に拾ったもので、と一頻りお喋りすることになった。雑談力は大事だと思う。同じような条件だったらそのような店で買いたい。ここは早くからスタッフ全員ノーマスクで、好きな店だ。
10月28日
次男が薄毛予防のために冷水シャワーをやっているのは、私を見てだと言う。後退が止まっていると云うのだが、どういう具合でだか分からない。
10月24日
次男がロックで使うエフェクターとかいう小さな機器、メルカリで買ったのがあまりにタバコ臭くて、少し睡眠も妨げられたと言う。私も感じて、たまにあるように配送業者がタバコ吸ってたのかと思っていた。アルコールや色々なもので拭いて少しは軽減したようである。
10月22日
長男がお腹にいた時だから26年前、苗場スプリングスホテル(プリンスホテルではなく)で合唱の合宿をした。当時のままホテルは残っていてびっくりした。そこから近い登山口から稲包山に登る。誰一人会わない。近くの平標山などは結構な人出と思われる。
2000m級の山々も青々としている。紅葉が遅れているか、このままで冬になってしまうかであろう。
行きは、道路標示に5℃と出ていて暖房をつけていたが、帰りは冷房。登り始めはある程度厚着をしていたが、結局は半袖Tシャツ。経験上、0℃くらいまでそのようである。
10月17日
会津磐梯山は宝の山よーと歌われ、その真意は分からないにしても、深田さんに百名山とされた甲斐あって、物凄い人出、下山した人達は殆どが道の駅に行くから大変な賑わい、確かにかなりの経済効果がある。二百名山では決してこうはならない。
山中で結構なお年寄りにも遭遇した。中でも、杖をつき、手提げかばんを持ち、買い物に来ました風のお婆さんはどうされただろうか。一寸心配になる。
10月11日
今年のヴェリタス祭は、夫婦で二日間、オルガンの演奏をすることになった。私は、バッハの小フーガと大フーガを対にして、色々な音色を楽しめるクープランのミサ曲を間に入れることにした。元々、このオルガンは、フランス古典が弾けるように音色設計したものでもあるので。どなたでもお越しください。
10月1日
来年のカンタータ、パート譜がダウンロード出来ない(無料で手に入らない)ものは写譜しなければならず、手を痛めない程度に書き始めていた。久し振りにこれをやる度に、目が見えなくなっていることに愕然とする。60歳定年と云うのも結構理に適ったものだと思う。楽員も譜を大きくしてと言うので、拡大コピーするが、そうすると製本までの手間が何倍もかかる。
9月21日
今日はエアコンがあまり要らないほどに涼しい…
9月20日
エアコンの工事が18時過ぎから始まり、随分難航した。殆ど出来上がったかと思う頃、どうしても電圧が上がらないとのことで、東電を呼ぶことになった。結局、電柱の上の方にあるヒューズを取り替えることで事なきを得た。この時点で23:30。
9月14日
新潟方面の山が暑いことは覚悟していた。実際、関東の平地のような猛暑でないにしても、特に長時間登るのに暑いのは堪えた。汗100%のタオルを何度絞ったことか。最近は、よくスーパーで売っている塩分チャージと云うタブレットも愛用している。
8時間近くかかって肩の小屋に辿り着いた時は、すかさずキンキンに冷えたスポーツドリンクを¥600で買い、生き返った。直ぐに夕食となり、もう一人の宿泊者である76歳のおじさんと一頻りお喋りして、すぐ就寝した。
翌朝は5時に食事。それから直ぐに出発し、谷川の主脈とも言える万太郎山までの稜線を歩けて大満足であった。
9月10日
自宅(2F)のエアコンが全て壊れたのは、Xに書いた通り。エアコンが無事な1Fを避難場所にして一晩過ごすも、普段からそこで好んで寝ている猫一匹のみが残って、あとの3匹は2Fのいつも寝ている場所にいた。暑い、涼しいはあまり意に介さないようである。
9月5日
湯沢の飯士山は流石新潟の低山、去年の地獄の様な暑さほどではなかったが、似たものであった。
高速から見る谷川連峰、やはり一番好きな山域だと再認識する。下から見ても格好いいし、上は天国である。ここもかなり暑いけれども。
8月30日
パソコンを使い始めて以来だから26年くらいソネットをプロバイダとして使ってきた。途中でホームページの分野から撤退したので、最近はあまり使っていないメールアドレスを生かしているのみの付き合いであった。それも明日付で終了となり、少々寂しい感がある。bachで始まるメールアドレスは明日までです。
8月27日
台風が来るのが予想より遅くなったので、自宅から最も近い山の一つ、赤城山の行ったことのないピーク幾つかを登った。最初の方でスピードの速いおばあさんに抜かされ、山頂への道ですれ違い、山頂から下りる時にまたすれ違ったのには驚いた。どうやら反復しているようなのである。
市街地から近いせいか、トレーニングとして登っているような方を複数見かけた。道をよく知っていて、景色も見ずに駆け抜ける。自分の場合もトレーニングと言えないこともないが、平地を散歩するよりは運動になる、といった程度である。
8月26日
聖学院チャペルで日曜の午後にオルガンの見学会、リハーサルを行った。午前中は礼拝のために冷房が入っていたが午後はなしであった。次第に温度が上がり、扇ぐ方が出てきたのは申し訳なかったが、測ると30℃はなかった。建物が二重構造で、比較的一定の温度を保てるようである。先日楽器を見に来た製作者のガルニエ氏が「この暑い夏にこんなに状態の良いオルガンは他にない。一体誰が作ったんだ」と仰っていたと云う。
8月20日
2度目の北岳登山は、暑い、疲労、低酸素の三重苦で難儀した。高山病にはならなかったのが唯一の救いか。登り始めは山頂まで輝いて見えたのが、次第にガスの中となった。私は北岳で晴れるような気がしない。抜群の眺望など想像だにできない。
2日目の間ノ岳は、終始霧の中。時折雨も降ってコンディションは最悪。それでも2日間で日本で2,3番目の2座を登頂できた満足感は大きい。
8月15日
飲み水が乏しくなってきたので東秩父の初めての水場まで汲みに行った。その近くの道の駅「和紙の里」に寄ると大混雑、何もせずに立ち去り、個人がやっているカフェ、チェファルに行ってみた。ケーキが絶品、やはりケーキを作る人である家内も感動していた。更に小川町の酒蔵、晴雲に食事処ができていて(20年前はなかったと思う)、ここでも美味しい食事を堪能した。酒の仕込み水をお冷としていただいたが、良い店で出される水は必ず美味い。何処の水か訊けばよかった。
8月9日
車のオイル交換に出向くと、前回は女性スタッフが、今回は若いお兄さんが、ボンネットに可愛い松ぼっくりがありますが、と同じように声を掛けてくれ、ひとしきり登山の話となった。雑談力と云うのは大事だと思う。人間関係やビジネスにおける潤滑油のようなもので。
8月8日
ワクチン接種と手の消毒により免疫が弱くなり、遂には無力化して重篤な病気になることは再三述べてきた。周囲でもそれが原因と思われる体調不良の方が散見されるようになり、やり切れない思いがする。
8月6日
日本一の山小屋とも言われる燕山荘には多くの方が泊まりたいと思うであろうが、今回、自分で登ってみてかなりキツいと思った。5時間以上登り続けで、かなりご高齢の方、子供、明らかに故障を抱えている方が多く、いかがかと思われた。実際、大怪我されている方にも遭遇した。北アルプス入門の山とも言われるが、決して初心者向きという意味ではないと思う。
8月4日
抗体依存性感染増強(Antibody-Dependent Enhancement:ADE)とは、ウイルスなどから体を守るはずの抗体が、免疫細胞などへのウイルスの感染を促進。その後、ウイルスに感染した免疫細胞が暴走し、症状を悪化させてしまう現象を指す。ワクチン接種やウイルス感染で中和活性の無い抗体が誘導されると、抗体のFc領域がヒト細胞上のFc受容体に結合し、ウイルスを積極的に取り込んでしまうと考えられている。
今、巷で起こっているコロナの重症化は、まさにこれではないかと思われる。ワクチン接種から何年も経つのに恐ろしいことである。
8月2日
カトリック教会は大抵こう。ヨーロッパに居た時、開放された聖堂にどれだけ救われたか分からない。プロテスタント教会の扉は必ず鍵が掛かっている。防犯の問題とか色々あるのだろうが。
7月26日
久し振りに母が作ったものを食べて、「うわっ、甘い」と驚いた。美味しかったけれども。思えばお袋の味よりも女房の味に慣れ親しんだ年月のほうがずっと長くなってしまった。
7月25日
大宮区役所に出向くと、浦和にあるさいたま市役所に行ってくれと言う。この暑さの中、駅から往復40分歩くのは流石に尻込みしてしまう。
何故こんなことをしているかというと、税金や何からの支払いを口座振替からクレジットカード払いに変更するためである。ヨドバシカメラのカードのポイント還元率が凄い。ヨドバシか石井スポーツという登山用品店で買い物をすると11%のポイントがつき、他のあらゆる支払いでも1%つく。そのポイントがyodobashi.comと云うアマゾンくらい何でも扱っているサイトで使うこともできる。兎に角、ありとあらゆる支払いを変更しているところである。
7月18日
時に面倒に思えることがあったとしても道の駅に寄ることにしている。先日は六合と書いて「くに」と云うところ。野菜が美味しかった。何故かデストロイヤーと云うじゃがいも、とうもろこし、ししとう等。地元産の野菜は大抵、安くて美味しいし、思わぬ掘り出し物があったりする。
7月15日
4年前に父が亡くなったことを思い出す。がんは持っていたが高齢でもあったので、それは大人しくしてくれていた。コロナワクチン1回目の接種後も何ともなかったので本人は気を良くして2回目を打ちに行くと、直後から吐き気止まらず、癌が有り得ない速さで拡がり、あっと言う間に亡くなってしまった。当時、こんなことをネット上で公開するのも如何と思われたが敢行した。それでも多くの方が接種してしまったのは残念なことである。今になっても急に歩けなくなるとか、急性心不全とか、まさかアレの影響とは思われない事象が頻発している。
7月10日
山の下山路が緩い傾斜だったので、知人からヒントをもらったナンバ歩きの練習をしてみた。重心を下げると楽でしかも速く歩けるようである。
これがもしできたとしても、西洋式の身体の使い方と両立しなければならないと思っている。バッハを演奏するのに能の摺り足で出て来る訳にはいかない。
7月5日
フォーレの自作自演ピアノロールと云うのが残っている。一種の録音である。これを聴くと、フォーレ自身が付けたメトロノーム記号が如何にあてにならないかが分かる。テンポ自体が異なっているのみならず、自由闊達なテンポ・ルバート(揺れ)がかかるので、数字によってテンポを表示するのが殆ど不可能、無意味に思える。
7月3日
埼玉から群馬へと車を走らせていると、この時期には珍しく快晴で、空が澄み渡り、絶好の登山日和だと喜んでいた。ところが例の長いトンネルを抜けると、新潟地方はひどい曇天で、終日天気は冴えなかった。日本の分水嶺、谷川連峰で雨雲や雪雲は遮られるのだと実感した。
7月1日
ツイッター歴は10年に近いが、どう扱ったらよいのか分からない、誰の反応もない、と云うのでずっと放置してきた。HPを刷新するにあたり、Xと云うリンクボタンがあったので、実にくだらないことを文字通り呟きとして書いてみた。ハッシュタグをつけたりすればアクセス数は増えるのかも知れないが、数だけ増えても仕方ないし、面倒なのでつけていない。X(旧Twitter)
6月25日
マダニ以来、体調の変化は無い。蚊は勿論のこと、猫もいることからダニやノミに刺されて痒い思いをすることも多いが、マダニは痛くも痒くもないのが不思議である。ヒルのように血が止まらなくなることもない。
6月22日
尾籠な話で失礼。風呂上り、ふくらはぎが変に膨らんでいるところがある、と思って引っ張って取るとマダニであった。風呂に30分近く浸かっていたのに平気で生きている。何日も吸血しつづけると云うので、どこぞの山以来かも知れない。感染症にならなければよいが。
6月21日
登山靴を忘れていたのを登山口まで来て気がついた、と云う失敗談は聞いたことがあったが、自分の場合、高速に乗る前であった。家に戻って近い山に変更することにしたが、後で調べてみると、小諸のワークマンが7時からやっていて、そこで適当なのを購入する手もあったなあと思う。乾徳山で出会った小早川さんなど地下足袋であったし、丹沢では素足で登る人がいた。(勿論、いきなり真似できない)
6月18日
山の会に誘われて半年ぶりにグループ山行した。ヤマップ登山記録 ヤマップでは家内のアカウントで450の山を記録してきたが非公開設定のまま。
6月16日
フォーレの夜想曲(ノクチュルヌならまだしも、ノクターンという呼び名はショパンのイメージが強すぎて使いたくない)第7番は、最初弾いた時、恥ずかしながら何調か分からなかった。短調の和音がラドミであるべきところ、ラドファにずらして(ぼかして)始まるのである。そんな曲でも弾けば弾くほど味わい深く感じられるようになった。
6月13日
ベートーヴェンのピアノソナタでは31番が最も好きで、そこまでの軌跡を辿ってみたいと云う個人的興味のためにこの7年間、連続演奏会を催してきた。このソナタは誰にも献呈されていなくて、日付がクリスマスになっていることから、ベートーヴェンから人類へのプレゼントであると云う話がある。事の真偽はともかく、自分はこの曲が存在してよかったと心底思う。
6月8日
インターネット関連のトラブルにはほとほと嫌気が差し、HPも刷新することにした。
25年くらい前にHPを自作で立ち上げた時も、そのうち中身を整えていきたいと言った割には何もしなかった。こうしてどうしようもなくなると仕方なく新たなものに差し替える作業はしている。元々、あまり興味の持てない分野なのであろう。
6月6日
生まれて初めて日本海を見た。海と言えば太平洋しかなかったので、東か南にあるイメージである。それと全く反対側を実感するのは難しかった。
佐渡が大きく見える。島だから小さくイメージしがちであるが、山脈二つを有した広大な土地である。その山地にのみ雲がかかっていて、佐渡ブロックが少し理解できた。大陸からの雪雲がここで遮られて、新潟市内は他のところよりは積雪が少ない、と云う現象のことである。
2024年(上に向かって進みます)